5大クラシックの誕生 -38話-

競走馬の足跡~世界の競馬~

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5大クラシックの誕生

 第9話でもダービーとオークスについて紹介しました。ダービーが出来てからオークスが出来たように思われますが、歴史的にはオークスが先にできました。

 競馬一筋のバンベリー卿の親友に競馬好きのダービー卿(12代目)がいました。彼は叔父からエプソム競馬場の近くで宿舎を改装したオークス館(オークスとは樫のこと)を譲り受けていました。ダービー卿は賭博好きで、ある時酒宴の場で、3歳の牝馬による1マイル半(2,400m)のレースをエプソム競馬場で行うことを決意しました。セントレジャー大佐の、セントレジャーステークスに刺激を受けたことは間違いありません。1779年にオークスが誕生しました。第1回のオークスではダービー卿所有馬のブリジッドが勝利しました。

 この祝賀会で、翌年に3歳の牡馬牝馬を含めた1マイル(1,600m)のレースを行おうと盛り上がりました。そのレースの名前はダービー卿とバンベリー卿がコインを投げて決めました。このコインの勝負でこのレースの名前はダービーとなりました。歴史的レースの名前は祝賀会のコイントスで決められました。歴史とはそういうものかもしれません。

 第1回ダービーを制したのは、皮肉にもバンベリー卿の所有馬ダイオメドでした。しかし、あまりの距離の短さに1784年の第5回から1マイル半(2,400m)に延長され現在に至っています。

 19世紀に入ると、競馬の形は確立されていきます。その中で、ダービー、オークス、セントレジャーは3歳馬の3大レースとされました。この後、ニューマケットで開催される1マイルの二千ギニー(1809年開催)と千ギニー(牝馬限定、1814年開催)を加えて、3歳馬の五大クラシック競走が出来上がります。

 ギニーとはかつてイギリスで使われていた金貨で、二千ギニーとは優勝賞金から名づけられました。日本では、皐月賞が二千ギニー、桜花賞が千ギニーにあたります。他の国のレースでは、〇〇ダービーや〇〇二千ギニーなど呼ばれてます。

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