ジョッキークラブの権威拡大 -36話-

競走馬の足跡~世界の競馬~

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ジョッキークラブの権威拡大

  18世紀後半ジョッキークラブに所属していたメンバーの中でバンベリー卿がいました。バンベリー卿はこよなく競馬を愛し、若く、人格者でもあった。彼は12戦全勝のハイフライヤー(1774年生まれ)の生産者でもあり、他にも多くの名馬を生産している。彼はさらに競馬界に大きな影響を残しており、ジョッキークラブの終身会長の地位にも就いている。

 ジョッキークラブの権威はどんどん高まっていく、責任を拡大しながらニューマーケットでのレースを施行し、他の競馬場からも競馬に関する紛争解決の依頼が来るようになる。すると、競馬開催にはジョッキークラブの後ろ盾が必要になっていく。そして、言い換えれば、ジョッキークラブが認めない競馬は正式な競馬ではなくなっていくのである。その例として、1791年に王位継承者とされていた皇太子の所有馬の不可解なレースが審議された。賭け事の不正が行われた可能性があったのだ。後に皇太子はニューマーケット競馬から手を引くことになったのである。王位継承者相手でも断固たる態度が取れるジョッキークラブの権威の表れでもあった。

 レーシングカレーンダーについてもジョッキークラブが関与する。1773年、ジェームズ・ウェザビーはジョッキークラブからレーシングカレンダーの発行の権限を与えられ、その後も、ウェザビー家がこの権利を有した。ウェザビーが後(1791年)に発行するジェネラルスタッドブックはこのような背景から、作られることとなった。良血を隠して、レース条件の交渉で不正をする人たちが多かったからだ。

 このように18世紀後半には、競馬において、公正なレースを確保することを目的に規制を強化して、権威あるジョッキークラブが生まれるのは自然な流れだった。

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