いだてん

ドラマの楽しさ教えます

 NHK大河ドラマ「いだてん」、熊本弁「ばってん」「ぎゃん」「とつかむにゃ」の金栗四三の面白さとスナオさが魅力。中村勘九郎の演技にハマってしまう。

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オープニング

 オープニング

 「いだてん」の文字に3本足が風車がぐるぐる回る。

(オープニング)

 

登場人物

金栗四三(中村勘九郎):目標に向かってまっすぐ進む
加納治五郎(役所広司):四三のあこがれの人であり、恩師
金栗実次(中村獅童):熊本に住む四三の兄
池部すや(綾瀬はるか):四三が憧れるハイカラ娘
三島弥彦(生田斗真):銀行屋の次男。短距離走の痛快男子。

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物語

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第13話まで

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第14話「新世界」

 ストックフォルムから帰国した四三。日本では明治天皇の崩御がり、年号は明治から大正に代わっていた。マラソン金メダル候補の四三がまさかの途中棄権、日本では負け知らず、短距離走の痛快男子の弥彦も全く通用しなかったオリンピックであったが、四三の仲間たちは四三を暖かく迎えてくれた。そんな中、四三は次のベルリンオリンピック出場を決意する。

(決意する四三)

 四三の次へのオリンピックに向けての練習が始まるが、周り人たちの変化に戸惑いもあり、悩みながらの再スタートとなるのだった。そして、一度熊本に戻った四三を待っていたのは池部スヤであった。

視聴率:9.6%

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第15話「あゝ結婚」

 熊本に戻った四三を待っていたのはスヤとの結婚。酢屋は池部家の嫁に嫁いだが、旦那が亡くなり、実家に帰っていた。しかし、寂しがる池部礒江がスヤを連れ戻すために四三を池部家の養子にして、スヤと結婚させようとしだった。しかし、四三は4年後のベルリンオリンピック出場を決意しており、すやとの結婚を躊躇していた。家に帰った2人は家族会議というより、兄実次が鬼の形相で四三を説得、言い聞かせる。

(鬼の形相、実次)

 結局は、スヤと結婚した四三だが、翌朝東京へ戻る。東京へ戻った四三は熱射病対策として、真夏の海岸をひたすら走り、東京高師卒業後も職に就かず、オリンピック一本でいく決意をした四三だった。

視聴率:8.7%

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第16話「ベルリンの壁」

 四三はマラソン足袋でお世話になっている東京大塚播磨屋の2階に引っ越した。ここで、ベルリンオリンピックに向けて、練習に没頭する。

 熊本には妻となったスヤを置いたまま。盆も正月も帰らない四三。そして、日本陸上競技大会でも世界記録の2時間19分30秒で優勝する。その記事を見たすえはとうとう東京へ、四三に会いに来た。

(驚く四三と笑顔のすえ)

 驚き、喜ぶ四三であったが、心が堕落することを理由にスヤを追い返すのだった。熊本では、それに腹を立てた礒江はいつものように、四三の兄実次に怒鳴り散らすのだった。四三には強気の実次も、いろいろ世話になっている礒江には頭が上がらない。

 そんな状況で、四三に残酷な報告が来る。「ベルリンオリンピック無期延長」。全身全霊で目指していた目標が泡となって消えた四三には、練習どころか、すべてのやる気が失われてしまうのだった。

播磨屋店主役がピエール瀧から三宅弘城に交代

(播磨屋での1場面)

視聴率:7.1%

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第17話「いつも2人で」

 ベルリンオリンピック中止のショックから四三を立ち直らせたのは駆け付けたスヤだった。そして、四三はスヤの言葉から大阪から東京までを50人で走ることを目標に教師になる。嘉納治五郎とその話をしていた時に、読売新聞の記者から提案を受ける。そして、京都から東京の東海道五十三次をたすきで繋げ走る東海道五十三次駅伝競走が行われることとなった。また、嘉納はいつか東京でオリンピックを行うためのスタジアムを建設することを心に誓うのだった。

 大正6年4月27日14:00に駅伝はスタートした。京都をスタートし、3日目10:00に川崎でタスキを受けとったアンカーの四三は東京へ走る。そして、日本橋では駅伝の応援に10万人がつめかけていた。その中にはスヤの姿もあった。

(日本橋を走る四三)

駅伝は負傷者が出たものの、大成功に終わった。そして、熊本に帰ったスヤはご懐妊となったのだ。

視聴率:7.7%

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第18話「愛の夢」

(もうは日本は走り切った)

 スヤがご懐妊になっても、四三は日本中を狂ったように走る。極東大会マラソン、東西マラソン競走、富士登山競走を制覇する。そして、スヤが子供を産んでも、熊本には帰らず、下関-東京間の1200kmを20日で走る。その時の池部家での兄実次の言い訳は、「四三は下関まできたけんど、走って東京に帰ってしもたばい」。

 そして、四三は日光-東京間の130kmを駅伝vsマラソン(四三)で勝負すると提案して実行。四三は駅伝には負けてしまったが、見事完走する。そして、その時に履いた播磨屋の足袋は四三の提案もあり130kmを1足で走り切った。見事な足袋の進化であった。播磨屋の店主も足袋に命をかけていた。ただ、紐締めでゴム底になった足袋はもうすでにシューズではないかとの葛藤は抱いている。

 四三は完全に燃え尽きた。時は1919年だった。しかし、その時、嘉納治五郎のもとにフランスから手紙が届いた。1920年オリンピックを開催すると。

視聴率:8.7%

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第19話「箱根駅伝」

(コース説明)

 四三は日本を走り終えると、次はアメリカ横断を思いつく。距離は4000km。1人で走ると1日40kmだとして、100日だが駅伝ならもっと早く走れるはず。と、原口(永山絢斗)の制止も聞かず話を進める。となると、予選会を開く必要がある。ロッキー山脈を越えるのなら、箱根の山となった。コースも確定して、走るのは学生に任せ、四三は先生として運営サイドに回ることにした。

 箱根駅伝は1920年2月14日に開かれた。授業の兼ね合いがあり13:00スタート。集まった学校は、東京高師、明治、早稲田、慶応の4校。東京有楽町スタートで始まったこのレース。始めは東京高師がトップを走るも、途中で明治がトップになる。トップの明治でも、箱根山に着いた頃は真っ暗。それでも選手は走る。明治がトップで往路を走り終えたのはスタートから7時間30分後。再会の慶応はその1時間40分遅れ。選手の周りには明かり代わりに松明をもって走る地元の人たちが付く。往路は1位明治、2位東京高師、3位早稲田、4位慶応となった。

 翌朝復路のスタートは7:00であったが、外は雪で、積雪6cm。中止する意見も出たが、四三は続行を指示する。選手が走り出すと、四三が乗る予定の車が故障で走らない。思わず、生徒とともに走り始める四三だった。四三は選手を鼓舞しながら走る。気が付けば、嘉納治五郎がいてもたってもいられなくなりゴールで待っていた。ところが、ゴールから見えた姿は四三の姿。何と四三は一人で8時間を走って、しかも選手に檄を飛ばす始末。さすが金栗四三と、治五郎も興奮しまくり。結局、ゴール前に四三は横に避けて、ゴール直前で明治を抜いた東京高師が優勝した。2位明治、3位早稲田、4位慶応となったのだった。

 実はこの時点で1920年のベルギーアントワープのオリンピック競技からマラソンは外されていたのだが、治五郎はIOCに直訴する決意をしたのだった。「マラソンの起源は古代ギリシャのマランとの戦い~」と始まる文章であった。

視聴率:8.7%

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第20話「恋の片道切符」

(さまよう四三)

 1920年アントワープオリンピックの参加選手15人が決定した。参加種目は陸上、水泳、テニス。テニスはアメリカで活躍していた熊谷と柏尾の2人。水泳は浜名湖のかっぱ内田正練を含め2人、陸上はマラソンは四三を含め4人、デカスロンは野口源三郎1人、短中距離6人の計11人。総勢15人の選手が決まった。

 そして、1920年5月日本を出発した選手団は途中でアメリカの熊谷と柏尾と合流して、アントワープへと向かった。ロンドンでは、四三と原口が結婚していることがみんなに知られることになったが、別に隠していたわけではなかった。

 アントワープ入りした日本選手たちは8年前のストックホルムオリンピックの時の2人と違って、立派な選手団となっていた。そこへ、痛快男子、三島弥彦も応援に駆け付けるのだった。1920年8月14日、アントワープオリンピックの開会式が行われた。・・・・・

・・・・・と話は3か月後に飛び、帰ってきた野口主将が選手を引き連れて、報告会見を開くのだった。会見場には四三の姿はない。報告は淡々と開始された。まず、テニスは熊谷の銀メダル。ダブルスの熊谷・柏尾組の銀メダルと幸先良い報告会となったが、陸上短中距離は予選落ちと棄権。水泳も予選落ち、そして、期待されたマラソンは四三の16位が最高位であった。この報告を聞いて、記者会見場が荒れる中、会見場にいたスヤが割って入り、実次が四三はどこにいるんかと原口に尋ねると、画面がヨーロッパを彷徨う四三に切り替わるのだった。

 四三は、オリンピックのため職を辞め、スヤとの約束も果たせぬまま、惨敗した自分はどうすべきか心の中でも彷徨っていた。そして、戦争で荒れ果てたヨーロッパを放浪して、4年前にオリンピックが開かれるはずだったベルリンに到着するのだった。

視聴率:8.7%

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第21話「櫻の園」

(槍を投げる村田)

 ベルリンで女性たちがスポーツをしている姿を見てきた四三は、帰国後日本の女子スポーツを始めようとする。熊本に帰る事を望んでいたスヤはその話を聞いて怒って1人帰ろうとするが、四三がスヤにも東京にいてほしいと頼むのだった。

 四三はシマとともに東京府立第二高等女学校(通称:竹早)で地理と体育を教えることになる。放課後、希望する生徒を集めてスポーツを教えようとするが誰も参加しない。ただひたすら誰かが来るのを待つ四三であった。授業でも女性の体つきについて、西洋人と日本人の違いなどを教えようとするが、なかなか年頃の女性は付いてこない。女子生徒の扱いに悩む四三であった。

 ある時、校庭で待つ四三に、村田(黒島結菜)たち女子生徒が四三に「体育はしない、無駄なのでやめてください」と言いに来たが、四三が一度だけ槍を投げてくれと頼みこみ、渋々、村田たちが槍を投げることになった。すると、村田たちはスポーツの楽しさに気づいてしまうのだった。

視聴率:8.5%

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第22話「ヴィーナスの誕生」

(スポーツに目覚めた女子)

  東京府立第二高等女学校(通称:竹早)では、スポーツに目覚めた女子生徒たちがテニスを始めた。村田と梶原が雑誌に載っていたフランスのテニスプレーヤーの衣装を真似て、自分たちでユニフォームを作ると、評判は瞬く間に広がり、竹早の女子が注目を浴びた。

 その火付け役となった四三は女子生徒から「パパ」と呼ばれる始末で、家まで押しかけてきた女子生徒から足を見せてほしいと言われ、足を見せると四三の鍛えられた足をペタペタ触る女子生徒たちだった。女子生徒たちはフランスのテニスプレーヤーの様に細く、すらっとした足に憧れていた。それを傍で見ていたスヤは、少しご機嫌斜めとなっていた。四三は足を細くする秘訣は走ることと村田たちに伝えると、村田たちは走り始めた。

 ある日、岡山の女学校とテニスの試合をした村田たちだったが、圧倒的な相手の強さの前に手も足も出なかった。相手には後に女子初のオリンピック選手になる人見絹江がいた。しかし、絹江は自分の身体能力の高さを良いように思っていなく、女子として悩んでいたのだった。シマが絹江の走りを見て陸上をしないかと誘ったのだが、絹江は断ったのだった。

 1922年秋、四三は女子の陸上大会を開催した。シマは絹江に参加しないかと手紙を書いたのだが絹江は参加しなかった。この大会で竹早の村田は50m、100m、50m障害で優勝したのだが、靴下を脱いで足の肌を見せて走ったことが話題となった。その姿が新聞に載ると、世間は賛否両論となった。

 村田富江の父・大作は否定派だった。大作は富江にスポーツをさせるために竹早に入れたわけではないと激怒した。そして、自分の娘が醜態をさらした原因は四三にあると、四三を退職に追いやった。

 四三の退職に怒った絹江たちは四三の退職反対を訴え、教室に立てこもった。

視聴率:6.7%

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第23話「大地」

 四三の退職に反対して、教室に立てこもった村田富江たちでしたが、四三の説得もあり、教室から出てきました。教室から出てきた富江に富江の父・大作は女は男に勝てないと言い張りました。すると、そばにいたシマが父娘の競争をお提案しました。大作が日ごろ鍛えている富江に勝てるはずもなく、大作の6連敗で、軍配は富江に上りました。

 1923年9月1日。四三は5年をかけて作った神宮競技場を嘉納に案内されていた。メイン席には15,000人、芝生席には40,000人、計55,000人の観客を収容でき、オリンピック招致を目指した大スタジアムでした。胸躍る四三と嘉納でした。

 しかし、その日の午前11時58分、未曽有の大地震が起きました。関東大震災です。東京の建物は崩れ、大火事がたった2日で東京を焼けつくしました。地震が発生した時、四三は嘉納と一緒に神宮競技場にいたが、シマは浅草オペラを見るため浅草十二階にいましたが、還らぬ人となりました。

 この物語には、これまであまり紹介しませんでしたが、別ストーリーがあります。ビートたけしが演じる古今志ん生を中心とした志ん生一家とその弟子たちの話です。四三や嘉納の話を落語にして紹介しています。

 志ん生の弟子のひとり、五りん(神木隆之介)は40年前に亡くなった母の写真を大切に持っていました。それを志ん生たちに見しました。志ん生の娘の美津子は五りんの母を奇麗な人ねと話していたが、その人がシマでした。そして、志ん生は写真に写っている四三を指さして、大仏みたいな人と言っていた。志ん生たちはその写真が四三やシマの写真であることは知る由もなありませんでした。

視聴率:6.9%

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第24話「種まく人」

 関東大震災は東京の人たちをどん底に落としました。死者不明者11万人、家屋も火災を入れると21万棟が被害にあいました。人々は住むところを失い、点在するバラック集落での暮らしを始めました。

 シマも見つからないまま日が過ぎ、四三は熊本にいったん戻りました。しかし、そこで池部幾江に、檄を飛ばされました。いだてんは困っている人々に食料を配る神様だと。そして、話を振られた兄の実次が、たまたま口にした「逆らわずして勝つ」。この言葉と相まって、四三は東京に戻ることにしました。

実次、良いキャラだ!

 東京へはスヤも一緒に行き、四三が東京に着くころには熊本の池部から大量の食糧が播磨屋に送られていました。四三はその物資を担いで、マラソンの弟子たちとバラックを回り続けました。

 一方、後の志ん生である美濃部孝蔵はつぶれた寄席で人々に笑いを思い出せてました。しかし、昼間元気だった人々は夜になると、悲しみを思い出し、バラックの中ですすり泣くのでした。

 震災から1ヶ月が過ぎ、神宮競技場でも多くの人々が住んでいましたが、徐々に元気をなくし始めていた。そこで、嘉納は3つの提言をしました。

3つの提言

1つ目、1924年のパリオリンピックへの出場
2つ目、その為の予選とする陸上競技大会
3つ目、外苑バラックでの大人から子供まで参加できる運動会

 3つ目は四三の提案でした。反対意見もある中、話はまとまり、大運動会が開催されました。運動会は40種目の競技をするなど、大いに盛り上がりました。最後にはオリンピック参加選手による競争も行われました。そこには、痛快男子こと、三島弥彦の姿もありました。怪我をして参加できない人ヘは孝蔵たちによる寄席が開かれました。

 増野シマだけでなく、多くの人が還らぬ人となった東京に少しだけ元気が戻った1日でした。また、次の時代を担う若き女性選手たちも力をつけ始めていました。

スポーツの凄さを感じたな。いだてんは神様だったんですね。

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第2部開幕

(四三と田畑が日本橋ですれ違う)

登場人物

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第25話「時代が変わる」

 嘉納が目指したパリマラソンの予選で、伴奏として走った四三(中村勘九郎)がまさかの優勝。そして3度目のオリンピックに出場したが、暑さに負けて32キロ地点で途中棄権となって負けて帰ってきた。 その報告会で「負けちゃ意味がない」と息巻く若手記者の田畑政治(阿部サダヲ)がいた。

確かにね、田畑さんの言うことも一理あるな

 朝日新聞の記者である田畑は口から生まれてきたかの如くしゃべり倒す。真っ向から自分の意見を突きつけ怖いもの知らずなしゃべる「いだてん」。嘉納治五郎に対しても本人とは知らず、報告会の席で嘉納の辞任を求める。陸上びいきの体協の体制にも文句を言った。

威勢のいい若者が日本を変えるのか。古い体制に真っ向から挑む田畑に注目だ!

 田畑は浜松のかっぱ水連出身で、パリオリンピックで陸上より結果を残した水泳をこよなく愛する男であり、水連も立ち上げた。帝国大学に屋内プールを提案するなど、元気なかっぱであった。その理由は子供の頃に大きな病気をして、命が短いと言われ、田畑家の男は元々早死にの遺伝を持つと信じていた。

 自分が生きている間に日本水泳を世界レベルに引き上げようと血気盛ん。資金不足に悩むアムステルダムオリンピック出場を断念しようとしていた体協に対し、田畑は大蔵大臣の高橋是清(萩原健一)にも接触。6万円の資金補助を受けて、嘉納の前に現れるのだった。

田畑さんうるさそうだけど、勢いあるわね!

視聴率:8.6%

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第26話「明日なき暴走」

 今回は43人の日本選手が出場したアムステルダムの話です。日本で初めて女性オリンピック選手となった人見絹江選手は、怪物と言われながらも世界大会に出て、優勝し、100mでは世界新記録の12秒4の結果も残していた。当然、オリンピックでは金メダル候補となっていた。

 しかし、1928年7月3日に開幕したアムステルダムオリンピックではプレッシャーのせいか得意の100m層では準決勝敗退と惨敗に終わりました。その他の日本選手の結果も思わしくなく、人見はこのままでは日本に帰れない。特に女の私ならなおさらと、走ったことがない800m走への出場を決意した。

神に祈る人見の言葉

「私の体にどうか明日一回走る力を与えてください。」

 走ったことがない競技なので、野口たちも入念な作戦を立て、レースに臨みました。人見はスタート直後は先頭に立つものの、野口たちからのアドバイスを思い出し、やや後方に下がり、6番手で走り続けました。そして後半に入り、順位を上げ、最後に2位まで順位を上げて、意識がもうろうとする中、見事にゴールした。日本ではその報告を受けて、大いに盛り上がっていた田畑たちでした。

日本人初の女性メダリストとなった人見の姿を見て、その後の日本選手たちもメダルに向けて競技へ出場しました。

日本人のメダル

人見絹江:800m走 銀
織田幹雄:陸上3段飛び 金
鶴田義行:200m平泳ぎ 金
高石勝男:100m自由形 銅
新井信男、佐田徳平、高石勝男、米山弘:水泳800mリレー 銀

 オリンピックから帰ってきた人見はラジオで女子スポーツについて語りました。恩師である増野シマの言葉も借りて、・・・・。

涙が止まらない!

増野シマからの言葉

あなたに対する中傷は、世界に出れば称賛に代わる

その3年後、人見絹江は亡くなりましたが、日本の女子スポーツの発展に大きく貢献したことは言うまでもありません。

24才という若さでこの世を去りました。ありがとう!!勇気をありがとう!!

視聴率:7.9%

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第27話「替り目」

 アムステルダム五輪での陸上と水泳選手団の活躍はすごいものでした。メダルが陸上2個と水泳6個と合計八個。嘉納は陸上派なのでこれを言われると少し気に食わない。そして、嘉納は国から資金を調達した田畑にも少し焼きもちを焼いている様でした。しかし、嘉納は心の底から喜んでいました。メダルを囲んでのお祝いです。

目出たいときは、やっぱり「鯛」。そうたい、そうたい。

 

 一方、田畑政治は30歳までしか生きられないと思い込んでいるので、時間がない!次に目指すのは日本水泳がアメリカに勝つことを目標にあげました。そして、読めない字で次回ロサンゼルス大会での必勝プランを、水泳陣に発表しますが誰も読めない。内容はこの通り、

 

 監督、コーチを決め日本水泳チームを不動のものとしていきます。その中で、田畑の役目は総監督。特に決まった役割がない田畑にはちょうどいいポジションとなりました。

 その頃、現役を引退した金栗四三(中村勘九郎)のもとに兄・実次(中村獅童)の危篤が伝えられ、熊本に戻った四三でしたが、兄の死に間に合いませんでした。実次は急性肺炎で、倒れるまでは畑仕事をして元気だったようです。

 実次はこれまで四三のために頭を下げ続けてきました。ストックホルムオリンピックに行くための旅費や池部家とのやり取りなど、実次がいなければ今の四三はなかったでしょう。兄の死を受けて、四三は熊本に帰る事を決意するのでした。

実次良かったな。中村獅童の演技も抜群。暑苦しくも弟想いの兄で大好きだった。

 四三に代わり元気いっぱいなのが死が近いと思い込んでいる田畑。30歳までに死ぬとバー「ローズ」のママ・マリー(薬師丸ひろ子)の占いで言われ、それを信じてしまっていたのだが、気が付いたら32才になっていました。

田畑さん面白すぎ

 水泳大国を目指すのが田畑の悲願だった。そのために、神宮プールが完成し、そのこけら落としとなった大会で田畑は天才少女・前畑秀子(上白石萌歌)と運命の出会いを果たしました。

 そして、忙しくて、2年間も自分の年を考える余裕すらなかった田畑はマリーの占いが外れたことを良いことに次は結婚相手を探すのでした。

田畑の勢いが止まらない。よくしゃべって、良く動く。そのうち死ぬぞ。と思うぐらい。

視聴率:7.6%

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第31話「ロサンゼルス オリンピック」

1932年のロサンゼルスオリンピックの田畑が総監督をする水泳陣の大活躍が目立ちました。女子では前畑秀子が女子水泳初の銀メダルとなり、男子では6種目中5種目で金メダルを獲得しました。日本でもロスからの”実感中継”で盛り上がっていました。

 しかし、ロスに住む日系2世の人たちはこれまで苦い経験をしてきており、日本人が白人に勝てるはずがないと思っていました。しかし、日本水泳陣は見事に、その予想を裏切り、欧米人たちを打ち負かしたのでした。

 一番の見どころは200メートル平泳ぎ、欧米人との勝負もさることながら、前回のアムステルダムオリンピックで金メダルを取った鶴田と新鋭の小池の勝負が注目されました。誰もがピークが過ぎた鶴田より、伸び盛りの小池の勝利を確信していたが、レース序盤から先頭を泳ぐ鶴田のスピードが後半になっても落ちない。小池も巻き返しを図りますが結局、鶴田が金メダル、小池が銀メダルとなりました。鶴田のベテランの意地が出たレースでした。

 オリンピックもとうとう終わりが近づき、現地の記者に日本の強さの秘訣とは何かと、嘉納治五郎が尋ねられると、嘉納は”日本泳法”の話を持ち出してしまうのでした。その流れを受けて日本水泳陣はエキシビジョンとして、田畑も含め日本泳法を観客に披露するのでした。

 手足からみ、いな飛び、大抜手、片抜手一重伸、水書(立ち泳ぎをしながら字を書く)を披露し、観客たちを大いに喜ばせました。

 田畑たちが日本に戻る日、宿舎を出た田畑たちに日系人が大勢集まってきました。そして、一人の老人が日本陣営が乗る車の前に飛び出してきました。彼は”アメリカに渡り27年、今日初めて白人から声をかけられた”と田畑に言って、”日本人であることを堂々と言える、誇りに思う”と続けました。歓喜に溢れるみんなの姿がありました。

やっぱり、海外移住って大変だったんですね。

とそこに嘉納治五郎がやってきて、いつもの様に好きかって言って、良いとこどりをするのでした。田畑は途中から車にもたれて、不満そうに嘉納を横目で見ているだけでした。

日本に戻った田畑は唯一金が取れなかった自由形の大横田の体調管理ミスを、誰もいない会社の中で悔やみ嘆いていたのですが、実は1人、社に残っていた酒井菊枝が嘆く田畑に次への目標が残って良かったと励ますのでした。

視聴率7.2%

 

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