イギリスが競馬史の中心 -23話-

競走馬の足跡~世界の競馬~
競走馬の足跡

 さて、ここからは競馬の本場イギリスの歴史を紹介します。これまで、イタリア、フランス、アメリカがイギリスへと競走馬や種牡馬を送り込んできたことを紹介してきました。これは、どの国も競馬発祥の国イギリスに追い付くために馬産に取り組み、競馬を発展してきたからこそ、本場イギリスに挑むこと、イギリスの大レースを制覇することを夢見ていたからだ。イギリスはいつも追われる立場だった。それがゆえに、イギリスには競馬に対する誇りがある。他国にこの座を許してはいけなかったのだ。

 そのため、ジャージー規則も作ってしまうことにもなったのだ。先頭を走り、追いかけられるイギリスは、追いかける他国にはない、多大なる苦労があるのも事実だ。例えば、前に紹介した、ジェネラルスタッドブックもイギリスで第一巻が発行されたが、その整備も大変な労力であったことが分かる。そして、競馬において、最も懸念されることが、競馬には賭け事の面も持っていることだ。これまでの競馬の発展を支えてきたのは、競馬を単なる競争としたのではなく、そこに大富豪の名誉欲や賭けの醍醐味であった。そして、そこには常に、不正が付きまとう。昔の話ではあるが、本命の馬に毒を食べさせる、騎手を買収するなど不正は横行していたようだ。このような不正を取り締まって、競馬を現在の様な大イベントに伸し上げたのは紛れもなくイギリスの功績だ。

 また、イギリスが大航海時代に植民地を増やしたことも当然関係ある。植民地化で娯楽がない、開拓されていない土地で競馬を楽しんだことが競馬を世界に広めた要因でもあるし、幾多の戦争で勝ち続けたイギリスの影響力、イギリス競馬の崩壊をさせなかったことも要因である。

 そして、我が国、日本は競馬後進国であるが、イギリス競馬を手本にして、ここまで発展してきたのだ。日本の競馬の歴史は、後で話すとして、ここからはようやく、イギリス競馬を中心とした話をして、競馬の根幹はイギリスにありと再認識をしてもらおう。

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