マルセル・ブーサックとアメリカ雑種血統 -21話-

競走馬の足跡~世界の競馬~
競走馬の足跡

 900年以上前から東洋種の馬の能力が高いことが知られていた。そして、300年ほど前にイギリスを中心とした西洋が世界の権力を握り始めたころ、積極的に東洋種が西洋に流れ込んだ。そして、1791年ジェネラルスタッドブックの発行により、突然線引きされ、サラブレッドが誕生した。その時に記された馬は種牡馬102頭と繁殖牝馬387頭であった。サラブレッドは合計489頭しかいなかったことになる。いかにもイギリスらしい、特権階級的な扱いとなった。

 サラブレッドから締め出された馬は、西洋の植民地化競争に巻き込まれ、新天地アメリカなどに運び込まれた。だから、アメリカに運び込まれた馬は、もともと、能力的に劣る馬とは言えない。ただ血統がハッキリしていなかったというだけで、サラブレッドとして認められなかった馬も沢山いた。

 時が流れ、アメリカでも競馬が行われたが、アメリカ人は血統など気にせず、能力主義で能力の高い馬を追い求めた。そして、20世紀初期にアメリカの各州で施行された反賭博法により、活躍の場を失った馬主の中にはヨーロッパへと戦いの場を求めるものもいた。その中に、ハーマン・デュアリエという人物がいた。彼は1910年にフランスに渡り、すぐにフランスで成果を上げた。しかし、間もなく、彼は亡くなり、妻が繁殖牝馬や生産馬の多くを売却することになる。

 一方、フランスで、家業の繊維業で大成功を納め、第一次世界大戦の特需やその後の民需で、繊維王と呼ばれるまでになった当時30歳のマルセル・ブーサックが、サラブレッド生産を始めようとしていた。彼はデュアリエの馬を買い求めた。これが、後にブーサックを世界屈指の大生産者に押し上げ、競馬後進国のフランスをイギリスをしのぐサラブレッド王国にすることつながったのだ。

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